エピソード

1

フランスのスーパー「ジャンボ」サビ事件

主力製品であるミートスライサー『スーパージャブ』を、弊社としては初の海外への輸出としてフランスのソポロテック社へ15台販売し、その納品先である現地のスーパー「ジャンボ」へ納めることとなったのですが…。

まずこの『スーパージャブ』という製品、「水をかけてじゃぶじゃぶ洗えますよ!」をセールスポイントにした当社の自信作でした。しかし船便での渡航を経て、現地にて梱包から出してみると、なんとすでに機械のあちこちがサビているではありませんか! うーん、初の海外輸送で梱包状態が悪かったのでしょうか…?

早急に対応するべく、まずは日本の本社工場にて対応部品の制作をしなくてはなりません。

具体的には構成部品の素材をスチールからステンレスへと変更するなどした防水対策が必要でした。これを受けて日本の本社工場では会社をあげて部品の改良にあたるわけですが、その当時はまだステンレスでの成型は殆どが未経験で、専用の工具もままならない状況でした。

「やったことが無い技術!」「緊急を要する期日!」「15台!」そんな大変な状況ではありましたが、現地派遣メンバーを含め日本側のスタッフ全員がまさに「会社の一大事だ!」と一丸となって対応にあたり、更には株式会社二村研磨工業所様(現在の株式会社NIMURA様)の身骨を砕くようなご協力をいただき、苦心の末に新たに材質改良した15台分のパーツを全て準備することができました。輝かしい初の海外輸出の影には本当に様々な苦労があったのですね。

イメージ:Episode 1

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2

昨日の敵は今日の友?! 呉越同舟、合弁立上げの秘話

イメージ:Episode 2

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1999年3月、渡邊健壱社長と英二専務(いずれも当時の役職)は通訳を伴い、河北省涿州市にある国営企業「研制」の倉庫にいた。当時、天津芝華との合弁契約が実現できずにいた中、複数の代理店からワタナベの模造品が市場に出回っているとの情報が寄せられ、そのメーカーを突き止めたのだ。実情を確かめるべく訪問すると、実際に卓上スライサーが生産されていた。と同時に膨大な数の不良品が倉庫に山積みされていた。見よう見まねで製造した機械はまさにワタナベ製品そのものであったが、機構的にカギとなる部分がうまくいっておらず返品が相次いでいた。模造品の生産をやめさせるべく、訴訟も辞さない構えで話し合いに臨んだところ、先方より「技術指導してほしい」という申し出がありさすがに驚いた。が、逆転の発想である。中国での生産拠点立上げが実現できずにいる中、これも何かの縁。模造品メーカーまでをも包み込む懐の深さと逆転の発想で技術指導を即決。昨日の敵は今日の友!呉越同舟の精神でさっそく本社の技術者や加工、組立の匠と共に技術指導に取りかかる。専用の道具や設備もなく、治具を作る為の材料すら充分にない。角材もねじれているものが多くあり、丸棒を削り出して角材にしたり、通訳はいるが専門用語や話の細部まで伝えきれないなど、本当に大変な事ばかりであった。しかし先達の諸先輩方の苦労が実を結び、1999年8月8日、日中合弁企業「北京渡邊英華食品機械有限公司」が設立され、中国事業展開の大きな一歩を踏み出すこととなった。

その後、19年の月日が経ち、中国も大きく発展をとげた。当時の工場があった所は、現在スポーツセンターとなっている。

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